湯原館跡(読み)ゆのはらたてあと

日本歴史地名大系 「湯原館跡」の解説

湯原館跡
ゆのはらたてあと

[現在地名]七ヶ宿町 湯原

湯原集落の北側、標高五二〇メートルの高台にある戦国期の山城。出羽上山かみのやま(現山形県上山市)および米沢に通じる七ヶ宿街道の分岐点にあたる。御館おたてともいい、現在二の丸跡に小学校があり、土塁・空堀跡が残る。「湯原村安永風土記」によると、上館は高さ六丈ほどで南北四〇間・東西三〇間、東館は高さ六丈ほどで南北一五間・東西一〇間、二の丸は高さ一丈余で南北五〇間・東西三二間であった。慶長五年(一六〇〇)の伊達政宗書状(留守文書)によると、上杉氏領であった湯原城は伊達政宗により攻略されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報