渡里村(読み)わたりむら

日本歴史地名大系 「渡里村」の解説

渡里村
わたりむら

[現在地名]日田市渡里・丸の内町まるのうちまち丸山まるやま二丁目・吹上町ふきあげまち

花月かげつ川右岸を村域の大半とするが、一部は同左岸にある。東は陣屋廻じんやまわり村。「和名抄」にみえる日田郡曰理わたり郷の遺称地とされる。日田郡司職次第(東京大学史料編纂所謄写本)の永俊の項に日田庄五ヵ郷の内として曰理郷がみえ、治承の内乱に参加した日田大蔵永俊が当郷などを分譲されたと主張したが、日田は先祖以来嫡子一人が相伝し、庶子に分けなかったとして永秀が知行している。地内西側台地上の地を武下たけした城の跡と伝える。天正一八年(一五九〇)五月三日の大友吉統給地坪付(大友家文書録)では財津木工入道跡地のうち曰理郷一所田地一段しのひはらの地などが吉統から堤鎮久に与えられている。

慶長一一年(一六〇六)村内一三八石余が筑前福岡藩主黒田長政室領になったとされる(「豊西説話」「日田記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報