渡辺銅意(読み)わたなべ・どうい

朝日日本歴史人物事典 「渡辺銅意」の解説

渡辺銅意

生年生没年不詳
江戸前期の鋳物師。慶安2(1649)年から寛文1(1661)年在銘の作品が知られ,おおよその活躍時期が察せられる。はじめ京都に住し,のちに江戸浅草に移住した。作品には灯籠,梵鐘,擬宝珠,花瓶などがある。万治1(1658)年作の江戸城本丸下乗橋擬宝珠の銘文に法橋を称しているが,これは承応2(1653)年に尾張,紀州両徳川家から日光大猷院廟に献上された銅灯台の鋳造を担当したことに対してのものとみなされる。子の正次も万治(1658~61)から元禄(1688~1704)ころに活躍した鋳物師で,江戸城の棟飾りに用いられたと伝える万治2年銘「銅鯱」(東京国立博物館蔵)のように,親子で合作したものも少なくない。

(加島勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺銅意」の解説

渡辺銅意 わたなべ-どうい

?-? 江戸時代前期の鋳物師。
京都から江戸にうつりすみ,梵鐘(ぼんしょう),擬宝珠(ぎぼし)などを製作した。代表作は,尾張(おわり)・紀伊(きい)両徳川家献上の日光大猷院廟(だいゆういんびょう)前の灯台4基などで,万治(まんじ)2年(1659)には子の近江大掾(おうみのだいじょう)正次と江戸城棟飾りの鯱(しゃちほこ)を合作。

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