浦底浦(読み)うらそこうら

日本歴史地名大系 「浦底浦」の解説

浦底浦
うらそこうら

[現在地名]敦賀市浦底・明神みようじん

西にし浦一〇ヵ浦の一。立石たていし浦の南、色浜いろがはま浦の北に位置し、それぞれトチガ峰とトガ谷を村境とする。天正一八年(一五九〇)二月六日付赤崎月木左衛門二郎山請証文(色ヶ浜区有文書)地名がみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村形は記されるが村名はなく、村高は隣村の色浜浦と合計で九三・三二石とある。

慶長三年八月の浦底浦御検地帳(浦底区有文書)では田・屋敷合三町五段八畝、うち田三町三段二畝・屋敷四畝・塩田二段四畝、分米合五一・五四石、このほか山手米三斗一升、網の銭一貫文、屋敷持一六軒。右の検地で色浜との村切がなされたが、色浜からの入作が一一石余を占め、田地のほかに山・海についても両浦は入会となっている。文禄四年(一五九五)一一月八日付色浜・浦底兼帯ニ付誓約状(色ヶ浜区有文書)に「浦底惣中」「刀禰」とみえるからすでに両浦は独立性を強くもっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android