浅草栄久町(読み)あさくさえいきゆうちよう

日本歴史地名大系 「浅草栄久町」の解説

浅草栄久町
あさくさえいきゆうちよう

[現在地名]台東区寿ことぶき一―二丁目・蔵前くらまえ四丁目

浅草森下あさくさもりした町の西、新堀しんぼり川東岸に南北に延びる。明治二年(一八六九)四月、浅草山本あさくさやまもと屋敷・浅草金六あさくさきんろく屋敷が合併して成立。同年五月浅草あさくさ浄念寺じようねんじ門前浅草あさくさ東漸寺とうぜんじ門前・浅草あさくさ龍宝寺りゆうほうじ門前・浅草あさくさ善照寺ぜんしようじ門前・浅草あさくさ浄土龍宝寺じようどりゆうほうじ門前・浅草あさくさ常福寺じようふくじ門前・浅草あさくさ実相寺じつそうじ門前・浅草あさくさ本法寺ほんぽうじ門前を合併。同五年にはこれら門前の寺地八軒寺はちけんてら町と称された地域の寺地、小揚こあげ町と通称される浄念寺東隣の御蔵小揚組屋敷などの武家地を合併。

新堀端の浄土宗浄念寺は永禄年間(一五五八―七〇)もしくは慶長元年(一五九六)に神田駿河台で創建され、慶長一〇年浅草に移転した。元禄一二年(一六九九)足立郡在家ざいけ(現埼玉県川口市)で朱印寺領三〇石を与えられた(寺社備考)。本尊阿弥陀如来立像は鎌倉時代前期制作の優品。「御府内備考」などの編纂事業に携わった三島政行の墓がある。同宗龍宝寺は天台宗龍宝寺と区別するため浄土龍宝寺と俗称される。徳川家康が関東入部後然連社本誉是応に八代洲(八重洲)河岸で居所を与えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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