酒井重忠(読み)さかいしげただ

改訂新版 世界大百科事典 「酒井重忠」の意味・わかりやすい解説

酒井重忠 (さかいしげただ)
生没年:1549-1617(天文18-元和3)

戦国末期から織豊期にかけて徳川家康に仕えた武将。のち譜代大名となる。出自は酒井氏雅楽頭(うたのかみ)系嫡流7代。通称与四郎。河内守,従五位下に叙任。父正親とともに家康に仕え,1584年(天正12)長久手の戦等に功があった。86年遺領を継ぎ西尾城主。90年家康の関東入国のとき武蔵国川越城主1万石,1601年(慶長6)上野国厩橋(まやばし)城主となり,3万3000石余を領した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井重忠」の解説

酒井重忠 さかい-しげただ

1549-1617 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)18年生まれ。酒井正親(まさちか)の次男。父とともに徳川家康につかえ姉川戦い,長久手(ながくて)の戦いなどに出陣。天正(てんしょう)4年家督をつぎ三河(愛知県)西尾城主。武蔵(むさし)川越城主をへて,慶長6年上野(こうずけ)(群馬県)厩橋(うまやばし)(のち前橋)藩主酒井家初代となった。3万3000石。元和(げんな)3年7月21日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の酒井重忠の言及

【川越藩】より

…江戸に近い番城として老中などの重臣が配置された。1590年(天正18)酒井重忠が川越城1万石を領したのが藩の起りである。重忠は城下町の諸役を免除し商人の集住を図ったが,1601年(慶長6)上野国厩橋(まやばし)に移った。…

※「酒井重忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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