浅海・浅茅湾(読み)あそう・あそうわん

日本歴史地名大系 「浅海・浅茅湾」の解説

浅海・浅茅湾
あそう・あそうわん

対馬島の中央部やや南寄り、西の朝鮮海峡から湾入した内海。浅茅湾として通用している。麻生・浅生・浅尾などともみえる。現在の豊玉とよたま町が浅海の北側で、南側は美津島みつしま町で、対馬島を南北に分ける内海であり、歴史的にも対馬の中枢部となった海域であった。東西約一五キロ・南北約一三キロのリアス海岸の続く海域で、西部は大口おおぐちにより朝鮮海峡に開き、東部は寛文一二年(一六七二)堀切がなった大船越おおふなこし瀬戸で、また明治三三年(一九〇〇)に掘った万関まんぜき瀬戸(久須保水道)対馬海峡に通じる。

無数に刻まれた入江は尾崎おさき洲藻すもたるはま・大船越・和田わだ浦・濃部のぶ(美津島町)仁位にい(豊玉町)などそれぞれ浦名をもつが、浅海はこれらの総称で、浅海七浦としたものもある。西の外海に開いた湾口部を外浅海そとあそうと称し、俗に大口とよぶ。内海部は内浅海うちあそうという。「津島紀略」に浅海とみえ、安佐生と訓じ、仁位郷と与良よら郷の間にあって対馬を分ける内海で、内浅海・外浅海の別を記す。しかし「津島紀事」は古文書に麻生とみえるとしながら、浅茅山に付会して浅茅浦と称し、当時は浅海というとする。浅茅は「万葉集」にみえる歌所として知られるが、浅茅が「あさう」の古名であるという史料はなく、そもそもアサジという地名は現地に存在しない。万葉の浅茅山を大山おやま(現美津島町)に比定したのは「津島紀略」で、浅茅浦は内浅海の中にあることを示唆するが、浅海を浅茅としたのは「津島紀事」である。現地にその地名がない以上、これは浅海の一部をさす文芸地名というほかない。のち「津島紀事」のこうした理解が郷土誌や「地誌提要」「大日本地名辞書」により浅海と浅茅の混同を定着させ、公用文や地図類にもこの誤解が及んでいる。浅海の名義がアサウミとすれば、ミが落ちてアソウに転じたものと解される。

沿岸には弥生時代の遺跡が多く、また古墳や式内社または名神古社も多い。古代における対馬の中心がこの内海にあったようで、「魏志倭人伝」にいう対馬国の「南北市糴」の根拠地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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