浄福寺通(読み)じようふくじどおり

日本歴史地名大系 「浄福寺通」の解説

浄福寺通
じようふくじどおり

裏門うらもん通と土屋つちや町通の間にあり、豊臣秀吉の京都市街改造後に開かれた。北は寺之内てらのうち通から、南は下立売しもたちうり通までを南北に貫通。「坊目誌」は通り名の浄福寺は元今出川御門近くにあり、元和元年(一六一五)本通の笹屋町通下ルの地に移転していることから、それ以降の名称とする。

江戸時代中期頃までは南北が短かったらしく、「京羽二重」は一条通まで、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は出水でみず通までとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android