浄慈寺(じんずじ)(読み)じんずじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄慈寺(じんずじ)」の意味・わかりやすい解説

浄慈寺(じんずじ)
じんずじ

中国、杭州(こうしゅう/ハンチョウ)(浙江(せっこう/チョーチヤン)省)の西湖(せいこ/シーフー)の南岸にある寺。「じょうじじ」ともいう。禅宗五山の第四。北岸の大昭慶律寺(だいしょうけいりつじ)と対する。寺の南に南屏山(なんへいざん)がある。954年(顕徳1)呉越忠懿王(ちゅういおう)が創建、慧日永明(えにちようめい)院と号した。開山は法眼文益(ほうげんぶんえき)の法嗣(ほうし)の道潜(どうせん)で、2世は『宗鏡録(すぎょうろく)』100巻を撰(せん)した永明延寿(えんじゅ)で、寺内に宗鏡台がある。宋(そう)の太宗が寿寧(じゅねい)禅院と改め、さらに1139年(紹興9)浄慈報恩光孝禅寺と改める。何度かの火災にあい、現存の建物は、御書「浄慈寺」の額を賜った1699年(康煕38)以後に重修されたものである。

鎌田茂雄

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