波呂村(読み)はろむら

日本歴史地名大系 「波呂村」の解説

波呂村
はろむら

[現在地名]二丈町波呂

松国まつくに村の西に位置し、東は瀬戸せと(現前原市)中世怡土いと庄の内。南北朝期と推定される四月二三日の家孝・賀信連署書状(大悲王院文書/南北朝遺文(九州編)六)に「怡土庄之内波呂村」とみえ、雷山らいざん(現前原市の大悲王院)院主は当村内の塔免三町の寄進状などを家孝らに提出している。文明一〇年(一四七八)一〇月一三日、杉盛連の未亡人および娘の所領であった当村の田地のうち七町三段が弘中弘清に、各五町が弟の正清・伊兼に与えられている(大内政弘下文「正任記」同月二二日条)。慶長四年(一五九九)の怡土郡石高帳(二丈町誌)によれば高一千五七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android