沼宮内村(読み)ぬまくないむら

日本歴史地名大系 「沼宮内村」の解説

沼宮内村
ぬまくないむら

[現在地名]岩手町沼宮内

北上川上流に位置し、西を奥州街道が通る。東は九戸郡葛巻くずまき(現葛巻町)、西は五日市いつかいち村、南は江刈内えかりない村、北の町続きは新町しんまち村。北上川と大坊だいぼう川に挟まれた標高三二八メートルの丘陵先端に沼宮内城跡があり、空堀によって区画された三郭と見張台からなる。河(川)村氏一族の沼宮内民部常利の居城と伝え、南部領諸城破却書上に「沼宮内 山城 破却 川村兵部少輔持分之所」とある。天正一九年(一五九一)九戸政実の乱に際し、蒲生氏郷は「今日沼宮内迄打入申候」と伊達政宗に報告している(同年九月二〇日「蒲生氏郷書状」伊達家文書)。文禄五年(一五九六)六月四日の南部信直書状(国統大年譜)に「伝馬三拾 沼宮内 川口より下田 門前寺まて をくりまひらせ候」とある。

正保国絵図に高四六九石余とある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入高五八八石余で、七ヵ年平均の免は一ツ六分七厘三毛。ほかに金目高三六石余、免は一〇〇石につき三七匁で「御物成諸役共」と記す。元禄十郡郷帳による〆高は田方七九一石余・畑方四五六石余で、当村へ江刈内村久保くぼ村・五日市村永井ながい(現玉山村)が入るとある。「邦内郷村志」では蔵分四四八石余・給分六石余、家数二七二、馬五九〇。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数二九二、うち沼宮内町一一七で、枝村は川原木かわらき一二・下府金しもふがね三・尾呂部おろべ八・上府金六・水堀みずぼり五・横沢よこさわ一〇・朽木林くちきはやし四・御堂新田みどうしんでん三・舘脇沢たてわきざわ五・御堂上みどううわやしき四・岩瀬張いわせばり一二・金沢かねさわ四・笹渡ささわたり三・中橋なかはし二・穴沢あなさわ二・あいとらせ一四・びわ二・遠中沢とおなかさわ二・間部まぶ一・くとれ一・ふとの六・さくら四・大渡おおわたり六・はしば一・水梨子みずなし一四・土滝つちたき一〇・犬袋いぬふくろ一八・岩崎いわさき五・きり久保くぼ三・まがり一・日神子ひのみこ一・芳谷地よしやち三。文政四年(一八二一)の領分産物書上(盛岡市中央公民館蔵)に特産として級縄・蒲はばきをあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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