河内寺廃寺跡(読み)かわちでらはいじあと

国指定史跡ガイド 「河内寺廃寺跡」の解説

かわちでらはいじあと【河内寺廃寺跡】


大阪府東大阪市河内町にある寺院跡。寺は東大阪市の東部、生駒山の西麓部標高20mの緩傾斜地上に立地する。飛鳥時代に創建されたもので、2008年(平成20)に塔跡、金堂跡、東回廊跡の一部が国の史跡に指定された。塔、金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍(がらん)配置で、各堂宇についてもその基壇や建物の規模が確定されている。とくに遺存状態が良い塔跡は、創建当初には乱石積みで1辺10.7m、高さ1.4mの基壇をもち、塔の初重は等間隔3間の建物で、柱間は1.95m。創建時期については、出土瓦の分析から、金堂と回廊は7世紀中期、塔は7世紀後期と推定されるが、鎌倉時代末期に廃絶されたと考えられている。河内寺廃寺は有力な渡来系氏族・河内直(かわちのあたい)により氏寺として建立され、律令制度の発達とともに河内郡衙(ぐんが)に付随した郡寺として発展していったと推定され、古代河内国における在地豪族の政治的・経済的な伸張、その庇護のもと行われた仏教文化の受容と発展を考えるうえで重要な遺跡とされている。遺跡の北西側に隣接して、河内郡衙に比定される皿池(さらいけ)遺跡がある。近畿日本鉄道奈良線瓢箪山駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報