池田亀太郎(読み)いけだ・かめたろう

朝日日本歴史人物事典 「池田亀太郎」の解説

池田亀太郎

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:明治7.9.20(1874)
明治期,いわゆる出歯亀事件の犯人。東京・湯島生まれの植木職。出歯亀は通称。明治41(1908)年3月22日の晩,市外大久保村で湯屋帰りの人妻(28歳)が強姦絞殺され,煽情的大ニュースとなるが,日ごろ女湯覗きを趣味とした出歯亀(35歳)が,見込み捜査で逮捕されて一件落着。裁判で当人濡れ衣を訴えたものの無期懲役。以来「出歯亀」は,覗きなどの変態的な男の蔑称となって世に流布した。おりから興隆の自然主義文学に,これが結びつく。森鴎外『ヰタ・セクスアリス』にいわく「出歯亀主義という自然主義の別名ができる。出歯るという動詞ができて流行する」。因習打破の新思潮が,痴情犯罪と混同され,発禁などの取り締まりをくらう一因となった。しかし,本件は九分九厘冤罪だったろう。アリバイも実はあった様子だし。当人は服役13年で仮釈放となり,のこのこ在所へ戻って,やはり植木職の手伝いで余生を過ごした。昭和8(1933)年5月某夜,こりずに女湯を覗いているところを捕まって,25年ぶりに消息が知れた。元来罪がなければ罪の意識もなく,罰だけくらった男を地元は包みこんでいたわけである。ちなみにこのとき60歳,出っ歯は抜け落ちていたという。<参考文献>長谷川伸『私眼抄』

(小沢信男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報