江名村(読み)えなむら

日本歴史地名大系 「江名村」の解説

江名村
えなむら

[現在地名]いわき市江名・折戸おりと

太平洋に面し、西は中之作なかのさく村・永崎ながさき村、北は豊間とよま村、江名湊を擁する。文和四年(一三五五)二月一一日の佐竹義篤譲状(正宗寺文書)に村名がみえ、嫡子義香に譲られている。戦国時代には岩城家の執事を勤めた重臣佐藤大隅守の一族佐藤(江名)蔵人が支配したと伝え、野上のじよう(現北口)に館を構え、氏神として信州より諏訪神社を勧請したという。蔵人の子孫は給事とも称し、江戸時代には館跡下に屋敷を構え、重三郎を本家として、半五兵衛・庄兵衛・治助等の分家が存在し、村役を独占した。元禄年間(一六八八―一七〇四)の覚(中山家文書)によると、戦国の時代には船主が船子を率いて出陣したとあり、船子は農村の名子と同じだとしている。寛永元年(一六二四)の古来船持記(佐藤家文書)の船主の名前の脇に「先祖蔵人・但馬平蔵・惣治」などとあるのが、そういった船主と思われる。天正一九年(一五九一)のものと思われる坂兵隆長・佐藤貞信連署状(秋田藩家蔵岩城文書)に「唐入之義」「舟方之事」とみえ、坂兵は坂本兵衛尉で、ともに当村に多い佐藤・坂本姓の本家で、豊臣秀吉による朝鮮出兵に出陣したのであろう。

磐前いわさき郡に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報