永山地下式板石積石室墓群(読み)ながやまちかしきいたいしづみせきしつぼぐん

日本歴史地名大系 の解説

永山地下式板石積石室墓群
ながやまちかしきいたいしづみせきしつぼぐん

[現在地名]吉松町川西 永山

南九州独自の墓制の一つで、確認されたものは総数四一基であるが、周辺には一〇〇基以上があったと推定されている。昭和四八年(一九七三)にそのうちの一三基について発掘調査が行われた。石室の平面プランは三号のみが長方形で、その他は円形である。石室内の副葬品鉄剣三・鉄鏃二九・鏡一・ガラス小玉四と意外に少ない。副葬品の出土しない石室は二基存在した。三号石室からの副葬品は、鉄剣一と鉄鏃三、鏡一が出土している。鏡は直径七・四センチの蒲鉾形の縁を有する素文鏡で、鈕は欠損した製鏡である。一〇号石室は最も大きく、そのうえ石室の外周に円形周溝をめぐらす特殊な形態である。円形周溝の内側直径六・六メートル、溝の幅五〇センチ・深さ四〇センチ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報