吉松町(読み)よしまつちよう

日本歴史地名大系 「吉松町」の解説

吉松町
よしまつちよう

面積:五四・四八平方キロ(境界未定)

姶良郡の北東部に位置し、北・東は宮崎県えびの市、南は栗野くりの町、西は伊佐郡菱刈ひしかり町に接する。東部は霧島連峰系栗野岳北西麓丘陵、西部は九州山脈岳の南端にあたる山地および丘陵地、中央部は両山系の間に南北に形成された擂鉢状の盆地で、九州山脈白髪しらが(現熊本県上村)に源を発する川内せんだい川が中央を南流して両岸に細長い水田が形成されている。両側の山麓から台地にかけての広大な原野の中に畑が点在している。JR肥薩線が中央を縦走し、吉松駅がある。吉松でJR吉都線が北東に分岐し、鶴丸つるまる駅がある。国道二六八号が吉都線にほぼ並走し、その東を九州自動車道が通る。亀岡天満宮暦代旧記(菅原神社蔵)によれば、天正(一五七三―九二)初めに島津義弘亀鶴かめつる城に一時仮住居した際、筒羽野つつはの村とよばれていた当地を縁起のよい鶴亀松竹にちなんで吉松村と改めたことが吉松の地名由来という。

これまで旧石器時代の遺跡は知られていなかったが、最近調査された七ッ谷ななつだに遺跡から細石器片が出土しており、今後も発見される可能性がある。縄文時代の遺跡は一一ヵ所が知られている。早期から晩期の時期とされているが、いずれも早い段階の表採資料によっており不明なものが多い。そのなかで七ッ谷遺跡からは早期の前平式土器や平栫式土器・押型文土器、前期の轟式土器曾畑式土器、中期の春日式土器など各期にわたる大量の遺物が出土している。また永山ながやま遺跡から地下式板石積石室の調査に伴って中期の春日式土器や並木式土器・阿高式土器・南福寺式土器、後期の出水式土器や市来式土器・西平式土器などや石器類が多数出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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