母里庄(読み)もりのしよう

日本歴史地名大系 「母里庄」の解説

母里庄
もりのしよう

現伯太町の中部に所在した庄園。「出雲国風土記」にみえる意宇おう母理もり郷、「和名抄」の能義郡母理郷が再編成されて成立した庄園で、母里郷とよばれることもあった。「山塊記」応保元年(一一六一)九月二八日条に「左近衛府領 出雲国母里庄 莚三十枚」とみえる。左近衛府という公的性格をもった機関の庄園であったためか、文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳では四番に「母里郷六十二丁二反三百歩河内二郎・広四郎」とあり、公領として扱われている。この段階で母里郷(庄)地頭職は二人が分割して保持していた(後の東方と西方か)。河内氏については不明だが、西遷御家人であろう。また乾元元年(一三〇二)以降のものとみられる室町院領目録(八代恒治氏旧蔵文書)のなかに母里庄がみえる。応安四年(一三七一)七月一二日の沙弥道用寄進状(千家家文書)によると、道用は自身が所領の安堵を受けたならば、母里庄東方内田地一町を杵築大社に寄進するとしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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