正能村(読み)しようのうむら

日本歴史地名大系 「正能村」の解説

正能村
しようのうむら

[現在地名]騎西町正能

騎西町場きさいまちばおよび外川そとかわ村の北にあり、集落騎西領用水に沿う自然堤防上に立地する。慶長七年(一六〇二)の正能村の年貢銭納状(正能家文書)がある。元和七年(一六二一)の武州崎西領正能村地詰帳(同文書)によれば検地役人私市きさい城主大久保家の家臣で、田方は一七町五反余であった。田園簿によれば田高・畑高ともに一八一石余、川越藩領。ほかに竜花りゆうげ(院)領二〇石があった。領主変遷は騎西町場に同じ。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高三九五石余、反別は田方一九町一反余・畑方一九町四反余。元禄一五年(一七〇二)の河越御領分明細記によればほかに一六〇石余があった。検地は正保四年(一六四七)実施。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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