樺戸集治監跡(読み)かばとしゆうちかんあと

日本歴史地名大系 「樺戸集治監跡」の解説

樺戸集治監跡
かばとしゆうちかんあと

明治一四年(一八八一)に設置された北海道最初の集治監(監獄)。明治初期、不平士族の乱などで急増した政治犯らを収容し、おもに北海道内陸部開拓に従事させるために建設された。明治九年北海道に内地囚徒を収容する計画があったが(公文録)、実現しなかった。同一二年刑法草案作成時、未開の北海道に流徒刑の危険分子を隔離し、開墾に当たらせて食糧を自給させれば経費の軽減となり、また更生囚徒を定住させれば希薄な人口も増え、刑事・殖民の政策に一挙両得という主旨の内務卿伊藤博文の提案を受け、開拓使は十勝国十勝川沿岸、石狩国石狩川のシペツ、胆振国有珠うす郡奥の後志山麓を推薦した(太政類典)。同一三年四月に内務省は御用掛月形潔ほか七人の現地調査団を派遣、滞在五〇余日、最終的に石狩国須部都すべつ(シペツ太)を予定地とし帰京した(北海回覧記・月形の手記)。建設費は一七万七千円余が計上されたが一〇万円に削減され、三千人収容を一千七〇〇人に縮小し獄舎一棟と官舎を建設することとなった。工事は東京の大倉組が請負った(樺戸監獄史話)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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