樺戸集治監(読み)かばとしゅうじかん

世界大百科事典(旧版)内の樺戸集治監の言及

【行刑】より

…翌年の監獄則は,自由刑の執行につき,拘留場,懲役場(懲役,禁錮),集治監(徒刑,流刑,禁獄)を定め,ほかに未決監たる監倉と裁判所・警察署に付属する留置場,および幼年者等を入れる懲治場をおき,相互の区別を建前とした。同年には樺戸集治監の開設など北海道開拓のための囚人利用が始まり,旧刑法下の自由刑長期化もあって,鉄鎖でつないだ外役や,大規模な刑務所工場の出現もみられた。獄内の規律維持と再犯防止に向けて懲戒主義が強調され,87年には,数ヵ月ではあったが,兵庫,大阪で,イギリスの空役にならった罪石も実施された。…

【月形[町]】より

…増毛(ましけ)山地南端から石狩平野にかけての石狩川右岸に位置し,東部は美唄市に隣接する。舟運の便がよいため1881年樺戸集治監が設けられ,これに伴って市街地も形成された。1919年に集治監が廃止されるまで,受刑者により空知・上川地方の開発が行われた。…

※「樺戸集治監」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」