槙原新田(読み)まきはらしんでん

日本歴史地名大系 「槙原新田」の解説

槙原新田
まきはらしんでん

[現在地名]鳳来町豊岡とよおか

三輪みわ川右岸の段丘上にあり、南は川を隔てて能登瀬のとせ村である。槙原の開発は小野田孝氏所蔵文書によれば、元禄一一年(一六九八)に行われ、願主は橋平はしだいら村一人、寺林てらばやし村七人、門谷かどや村一人、黒谷くろや村一人の計一〇人だった。宝永五年(一七〇八)代官庄田与三兵衛が出した領収書には、槙原新田六人とある(槙原共有文書)

天保五年(一八三四)槙原の嘉兵衛、柿平かきだいら村の武左衛門が、鳳来寺から大津おおつ山・槙原山の払下げを受けた時、伐採期間は一〇年で、冥加金は九〇両。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android