桑原隲蔵(くわばらじつぞう)(読み)くわばらじつぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

桑原隲蔵(くわばらじつぞう)
くわばらじつぞう
(1870―1931)

東洋史学者。福井県敦賀(つるが)に生まれ、京都府立中学校、第三高等中学校を経て、東京帝国大学漢学科を卒業し、引き続き大学院に入り東洋史を専攻した。当時まだ東洋史の学科がなく、この名が定着するには実は大学院時代に書いた名著『中等東洋史』が果たした役割が大きかったといわれる。第三高等学校、東京高等師範学校の教授となり、2年間清(しん)国に留学し、各地を旅行して帰国し、京都帝国大学教授に任ぜられ、東洋史を講じた。その学風は科学的に正確な歴史学の建設に志し、従来のシナ史から、漢民族と周囲諸民族との関連を重視した東洋史、さらには東洋と西方との交渉へと、研究範囲を広げた。『宋(そう)末の提挙市舶西域人蒲寿庚(ほじゅこう)の事蹟(じせき)』が代表作で、学士院賞を受けた。ほかに多数の著述があり、なかでも「大宛(だいえん)国の貴山城に就いて」の論文を出し、以後東京の白鳥庫吉(くらきち)・藤田豊八(とよはち)両博士と、華々しい論争を展開したのは有名である。

宮崎市定

『『桑原隲藏全集』5巻・別冊1(1968・岩波書店)』『桑原隲藏著『中国の孝道』(講談社学術文庫)』


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