栗栖郷(読み)くりすごう

日本歴史地名大系 「栗栖郷」の解説

栗栖郷
くりすごう

和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「已廃存柳原村」とし、現御所ごせ市大字柳原やなぎはらに比定。欠年の優婆塞貢進文(正倉院文書)に「大倭国忍海郡栗樔郷戸主従七位下勲十二等忍海上連薬戸口」とあり、「延喜式」(左右馬寮)に「大和国(中略)鼠栗栖ねすくるすの庄一処地十五町、栗林一町」とみえる。

栗栖郷
くるすごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「栗栖」と記すが訓はない。天平勝宝二年(七五〇)二月二一日付の村君安麻呂勘籍(正倉院丹裏古文書)に「紀伊国牟婁郡栗樔郷戸主村君辛兄之男」、また「栗栖郷」ともみえる。「続風土記」は「今の栗栖川城川市鹿野四番四荘の地ならん」と記し、その郷域を現西牟婁にしむろ中辺路なかへち町・日置川ひきがわ町・すさみ町北部に比定する。「日本地理志料」は「続風土記」を踏襲

栗栖郷
くるすごう

「和名抄」所載の郷。高山寺本・東急本の訓はともに「久流須」。「播磨国風土記」に栗栖里があり、地名は若倭部連池子が仁徳天皇から皮をむいた栗の実を賜り、同地に植えたことにちなむという。若倭部が開化天皇(若倭根子日子大毘毘之命)の「若倭」を記念するために設けられた名代であるとの説は現在では疑問視されており、若倭部連は天皇のもとに上番する部を統轄する伴造と考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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