改訂新版 世界大百科事典 「柳家紫朝」の意味・わかりやすい解説
柳家紫朝 (やなぎやしちょう)
生没年:1873-1918(明治6-大正7)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(根岸正海)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…彼を育成したのは久留米の富士松紫朝(しちよう)という盲目の名人で,三味線の名手と伝える。同じく盲目の名人の柳家紫朝(しちよう)も鶴賀派の出であるがこの人に学んだ。 一方,鶴賀派のほうは1891年に5代目家元の2世若狭太夫が病没して血統が絶えたが,弟子にあたる鈴木重太郎が推されて家元6世新内(のち祖元)となった。…
…晩年は久留米に帰り,俗に〈久留米の紫朝〉といわれる。弟子に5世富士松加賀太夫,柳家紫朝,名古屋の富士松春太夫(1877‐1941)らがある。(2)2世(1860‐1943∥万延1‐昭和18) 本名古賀城武。…
※「柳家紫朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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