柳原新田村(読み)やなぎわらしんでんむら

日本歴史地名大系 「柳原新田村」の解説

柳原新田村
やなぎわらしんでんむら

[現在地名]鶴岡市大山おおやま

友江ともえ村の東にあり、東は中野京田なかのきようでん村。寛文二年(一六六二)友江村分の畑地原野を開発して成立、同四年一一八石余(田高一一三石余・畑高五石余)が高入れされた。名請人は一八人で出身村は不明(寛文四年「検地帳」柳原区有文書)。初め大山藩領、寛文九年幕府領、元治元年(一八六四)庄内藩領。天保九年(一八三八)の村明細帳(同文書)では家数一〇・人数六八、馬八。慶応元年(一八六五)友江村諸事御用止(鶴岡市郷土資料館蔵)では免三ツ八分一厘、家中の犬塚友之助の小物成所となっていた。年貢米大山村郷蔵に納入され、そのうち三〇俵は酒造貸付米として大山村酒屋格弥へ運ばれた。

柳原新田村
やなぎはらしんでんむら

[現在地名]秋田市牛島うしじま西一丁目・同三丁目・茨島ばらしま二丁目・同四丁目・同六丁目・おろし

牛島村の西に続き、北は太平たいへい川で久保田くぼた城下川口境かわぐちさかいと相対する低湿地。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に一〇軒とあり、「久保田町川口境仁別川限り」とあるので、享保年間には新田村として一村を形成していた。

柳原新田村
やなぎはらしんでんむら

[現在地名]宇都宮市柳田町やなぎだまち

北は上平出かみひらいで村、東は鬼怒川、南は下平出村と接する低地。享保八年(一七二三)五十里洪水などの鬼怒川氾濫によりしばしば大水害に見舞われた。新田成立時から宇都宮藩領。元禄郷帳に高一八九石余とある。正徳年間(一七一一―一六)の宇都宮領村々諸割物高付覚帳(五月女久五文書)では用水川除普請往還人馬勤高二一九石余、山家人足青草勤高一一二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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