松本窯(読み)まつもとかま

日本歴史地名大系 「松本窯」の解説

松本窯
まつもとかま

[現在地名]萩市大字椿東

唐人とうじん(四七四メートル)の西麓松本にある萩焼諸窯の総称

通説によれば、毛利輝元が文禄・慶長の役で捕らえられた朝鮮の陶工李勺光を豊臣秀吉から預かり、当地に宅地を与えて陶器を作らせたのに始まるという。勺光はのち大津おおつ深川ふかわ(現長門市)に移り深川焼の祖となった。一方松本のなかくらの地には勺光とともに萩に来た弟の季敬が住し、寛永二年(一六二五)藩主秀就から坂高麗左衛門の名を与えられ、松本焼の名を高めた。「地下上申」は唐人山の項で、「此山え先年坂新兵衛先(ママ)高麗左衛門と申唐人朝鮮より渡り、彼山麓に居住仕、其砌右之山高麗左衛門え御預け被成候由にて唐人山と申之由ニ御座候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報