東黒田村(読み)ひがしくろだむら

日本歴史地名大系 「東黒田村」の解説

東黒田村
ひがしくろだむら

[現在地名]徳島市国府町東黒田こくふちようひがしくろだ板野いたの藍住あいずみ徳命とくめい

東高輪ひがしたかわ村の北、吉野川(別宮口)南岸にある。対岸板野郡徳命村(現藍住町)、東は北新居きたにい村、西は西黒田村。近世初期までは西黒田村と一括されて黒田と称した。黒田原一帯は天文二二年(一五五三)の鎗場の合戦(久米の乱)や天正一〇年(一五八二)の中富川合戦の戦場となった(「三好家成立記」など)。天正一二年一一月一四日の某所領宛行状(土佐国蠧簡集)に土居重兵衛に与えられた五六ヵ所・八町四反四五代のうちに「黒田村」とみえる。また同日付の某所領宛行状(土佐国蠹簡集拾遺)で田所兵部丞に宛行われた五町四反一五代の坪付のうちに黒田村矢野志摩分の近藤源四郎名など、同じく同日付の某所領宛行状(土左国古文叢)で宗円清兵衛に宛行われた二町二〇代の坪付のうちに黒田村伊沢弥介分の孫衛門名などがみえる。

天正一五年奥平菊千代(のち梯九蔵)は母の願により在宅を命じられ、名東郡黒田村一〇七石余を与えられた(阿淡年表秘録)。文禄二年(一五九三)閏九月一〇日には名東郡黒田村のうち平左衛門分三〇石が弓之者与五郎に加増された(「蜂須賀家政知行宛行状」徴古雑抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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