東山庄(読み)ひがしやまのしよう

日本歴史地名大系 「東山庄」の解説

東山庄
ひがしやまのしよう

大和金峯山吉水きんぶせんきつすい院領庄園で、東山一帯が庄域と考えられる。建武元年(一三三四)二月日付吉水院真遍坊領紛失状(吉水神社文書)によると、前年の元弘三年(一三三三)閏二月一日、金峯山に住山していた護良親王以下を鎌倉幕府軍の二階堂行房が兵数万騎を率いて攻撃した際、真遍らが離山し寺院焼亡本尊聖教をはじめ寺領関係文書などことごとく紛失したため、改めて寺領に関する紛失状の証判を与えられるよう雑訴決断所に申請しているが、その寺領のなかに河内国東山庄がみえる。この訴は奈良興福寺一乗院門跡覚実や河内守護楠木正成の請文もあって、その申請に誤りがないことが確かめられたうえで、同年九月四日、当庄が吉水院領であることが改めて認められている(同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報