東千石馬場町(読み)ひがしせんごくばばまち

日本歴史地名大系 「東千石馬場町」の解説

東千石馬場町
ひがしせんごくばばまち

[現在地名]鹿児島市東千石町ひがしせんごくちようなど

平之馬場ひらのばば町の東、山下やました町から西に折れた所に位置し、南は山之口馬場やまのくちばば町、東はなか(鹿児島県地誌)。天保城下絵図によると北は千石馬場、西は二官橋にかんばし通、南は高見たかみ馬場、東はなか町・六日むいか町との町境に限られた地域にあたる。千石馬場と高見馬場の中間に天神てんじん馬場がある。造士ぞうし館の東に伊佐いさ黒木くろき(現答院町)の領主島津主計(二千一三二坪)、若年寄・大目付で持高二六〇石余の永吉島津次男家の島津登(一千二五九坪)、千石馬場に面して伊勢雅楽(三千五一一坪、下屋敷も隣接する)、島津右門(中屋敷、四五〇坪)・上原源兵衛(添地共一千二坪)、天神馬場に面して島津若狭(花岡屋敷、三千六二二坪)・島津要人(新城屋敷、二千八四二坪)・田尻次兵衛(九九九坪)などの屋敷がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報