村松 愛蔵(読み)ムラマツ アイゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「村松 愛蔵」の解説

村松 愛蔵
ムラマツ アイゾウ


肩書
衆院議員(立憲政友会)

生年月日
安政4年3月2日(1857年)

出生地
三河国田原(愛知県)

学歴
ロシア語学校(神田ニコライ堂内) 東京外国語学校露語科

経歴
田原藩の家老職の家に生まれる。明治5年15歳で上京、神田ニコライ堂内のロシア語学校、次いで東京外国語学校の露語科に学ぶ。12年田原に帰郷、翌13年旧士族と周辺の豪農、豪商層の青年に働きかけて民権政社・恒心社を結成。14年愛知自由党結成に参加。17年政府転覆を企てたのが発覚して下獄。出獄後、立憲自由党評議員などを務める。27年インド、トルコ、ロシア、朝鮮などを旅行。31年以来衆院議員に4選。はじめ自由党、のち立憲政友会に属す。42年日糖事件に連座して政界を引退。以後救世軍に入り、宗教活動に専念した。

没年月日
昭和14年4月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「村松 愛蔵」の解説

村松 愛蔵
ムラマツ アイゾウ

明治期の政治家,自由民権運動家 衆院議員(立憲政友会)。



生年
安政4年3月2日(1857年)

没年
昭和14(1939)年4月11日

出生地
三河国田原(愛知県)

学歴〔年〕
ロシア語学校(神田ニコライ堂内),東京外国語学校露語科

経歴
田原藩の家老職の家に生まれる。明治5年15歳で上京、神田ニコライ堂内のロシア語学校、次いで東京外国語学校の露語科に学ぶ。12年田原に帰郷、翌13年旧士族と周辺の豪農、豪商層の青年に働きかけて民権政社・恒心社を結成。14年愛知自由党結成に参加。17年政府転覆を企てたのが発覚して下獄。出獄後、立憲自由党評議員などを務める。27年インド、トルコ、ロシア、朝鮮などを旅行。31年以来衆院議員に4選。はじめ自由党、のち立憲政友会に属す。42年日糖事件に連座して政界を引退。以後救世軍に入り、宗教活動に専念した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「村松 愛蔵」の解説

村松 愛蔵 (むらまつ あいぞう)

生年月日:1857年3月2日
明治時代の政治家。衆議院議員
1939年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android