村木沢村(読み)むらきざわむら

日本歴史地名大系 「村木沢村」の解説

村木沢村
むらきざわむら

[現在地名]山形市村木沢・藤沢川ふじさわがわ舞台ぶたい阿弥陀あみだつじさくらおか反町そりまち才津さいつ大道端おおみちばた城森しろもり富神前とがみまえおか

飯塚いいづか村の西に位置し、川の西岸平地と西部の白鷹しらたか丘陵東麓の丘陵に立地。本村下宿しもじゆく・中宿・上宿・佐野さの金沢かねざわなどの集落からなる。枝郷として東部の須川西岸に悪戸あくと、南部に長岡ながおか、西部の白鷹丘陵山間に足沢あしざわ出塩でしお長根ながね山王さんのう上平うわだいらの七郷があった。狐越きつねごえ街道が南部を抜けている。また長谷堂はせどう村と山野辺やまのべ(現東村山郡山辺町)を結ぶ街道の商荷継立駅場であったが、江戸時代後期には米沢、荒砥あらと(現西置賜郡白鷹町)へ通ずる小滝こたき街道の継立場でもあった。最上四十八館の一つ村木沢館があった。

最上氏改易後は山形藩領、延享元年(一七四四)幕府領(旧山形県史)、同三年下総佐倉藩領、同四年陸奥棚倉藩領、宝暦一三年(一七六三)再び佐倉藩領となる。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に村名がみえ、高四千三四二石余。同一六年の定納一紙(佐藤文書)では高三千五七六石余、村内反別田一四八町余・畑四七町四反余、ほかに若木わかき門伝もんでん沼木ぬまぎ下条しもじようの四ヵ村に出作地二町二反余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android