デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「李垠」の解説
李垠 イ-ウン
光武元年10月20日生まれ。1907年純宗(スンジヨン)の皇太子となり,留学名目で日本にうつされる。1910年韓国併合により,日本の皇族待遇となる。1920年梨本宮方子(なしもとのみや-まさこ)(李方子(イ-パンジヤ))と結婚。終戦時は陸軍中将。1963年朴正煕(パク-チヨンヒ)政権のもとで56年ぶりに帰国した。1970年5月1日死去。74歳。日本の陸軍大学校卒。日本では李王垠(りおう-ぎん)とよばれた。
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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