本立寺跡(読み)ほんりゆうじあと

日本歴史地名大系 「本立寺跡」の解説

本立寺跡
ほんりゆうじあと

[現在地名]鹿児島市清水町

本立寺馬場に所在した時宗寺院。清水山と号し、本尊阿弥陀如来。浄光明じようこうみよう寺末。五道ごどう院ともよばれた。五道院とは島津氏初代忠久以降忠時・久経・忠宗・貞久まで五代の法名にちなむとされる(島津国史)。「西藩野史」などによると、嘉禄三年(一二二七)六月に島津忠久が鎌倉で没し、墓を野田感応のだかんのう(現野田町)、廟を本立寺、神主浄光明寺としたと伝える。本立寺の注記には五道院清水山と号し、初め寺号はなかったとある。中興開山は覚阿智海。寛永年間(一六二四―四四)島津家久が堂宇を建造し、続いて島津光久が論語の「君子務本、本立而道生」の語をとって本立寺と号したという(西藩野史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報