本理院(読み)ほんりいん

朝日日本歴史人物事典 「本理院」の解説

本理院

没年:延宝2.6.8(1674.7.11)
生年:慶長7(1602)
江戸幕府3代将軍徳川家光御台所(妻)。鷹司信房の娘。母は佐々成政の娘か。諱 は孝子家光との婚姻は,将軍家御台所を摂家など京から迎える先例となる。しかし,本理院自身は不遇で秀忠の命により城内の別御殿に住み,中之丸様と称した。これは本理院の嫉妬深さのためといわれるが,詳細は不明。宝暦13(1763)年贈従一位。墓所は小石川伝通院。<参考文献>『徳川諸家系譜』1・2巻

(久保貴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本理院」の解説

本理院 ほんりいん

1602-1674 江戸時代前期,徳川家光(いえみつ)の妻。
慶長7年生まれ。鷹司(たかつかさ)信房の娘。元和(げんな)9年江戸城西丸にはいり,寛永2年結婚する。家光との生活は円満ではなかったらしく,のち中丸の別御殿にすみ,中丸殿とよばれた。延宝2年6月8日死去。73歳。名は孝子。

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367日誕生日大事典 「本理院」の解説

本理院 (ほんりいん)

生年月日:1602年5月7日
江戸時代前期の女性。3代将軍徳川家光の正室
1674年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報