本光寺(願生寺)(読み)ほんこうじ

日本歴史地名大系 「本光寺(願生寺)」の解説

本光寺(願生寺)
ほんこうじ

[現在地名]牟礼村大字平出字西浦

東本願寺の末寺、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来

寺伝によれば、勧修寺大納言光隆の嫡子経隆が治承二年(一一七八)法然の弟子となり、尊願坊と号し、のち親鸞に随従、源実朝の命により建保二年(一二一四)下総国葛飾かつしか磯部いそべ(現茨城県猿島郡)一宇を建て願生寺と号した。正応元年(一二八八)三世尊継坊のとき下野国芳賀はが郡平出村(現栃木県)に移る。応仁二年(一四六八)七世祐栄坊のとき当国水内郡平出村もとどり山に移り、「平出ノ坊願生寺」と改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報