木造城跡(読み)こつくりじようあと

日本歴史地名大系 「木造城跡」の解説

木造城跡
こつくりじようあと

[現在地名]久居市木造町 城

南北朝末期から桃山時代にかけての城館。雲出くもず川下流左岸の氾濫原にあり、周囲は池・沼・田圃に囲まれたわずかな微高地に位置する。応永二二年(一四一五)伊勢国司北畠満雅の反乱にあたって、満雅の弟雅俊がここに入って守っていたが、北方から進攻してきた幕府軍によって攻め落され、坂内さかない(現松阪市阪内町)に移ったので、北畠一族のなかで満雅と袂を分って幕府方に属していた北畠俊泰(のち俊康)がその後に入ったという(南方紀伝など)。元来俊泰は坂内城を住居としていたが、これ以来木造に館を構え、ここを本貫地としたようで、彼は応永二七年に出家すると木造を号している(公卿補任)。もっとも彼とその子持康とは権大納言にまで昇進し、孫の教親も権中納言に叙せられているので、公卿としての地位にある間は京都に居住したものと思われるが、応仁の乱によって京都が荒廃してからの木造氏は、当地での居住が多くなったようで、教親も伊勢で死去し(同書)、その子親方も文明九年(一四七七)一二月、同じく伊勢で家臣に暗殺されている(大乗院寺社雑事記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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