木田城跡(読み)きだじようあと

日本歴史地名大系 「木田城跡」の解説

木田城跡
きだじようあと

[現在地名]東海市大田町

室町中期以降、木田庄(郷)にあった砦。東西一五間・南北一二間。室町中期には一色氏の居城。宝徳二年(一四五〇)近くの天台宗雨尾山観福かんぷく寺が一色左馬介・一色中務大輔によって再興されているので、城主はこの二人か、またはその一族であろう。

室町後期には荒尾あらお庄を領した荒尾氏が城主で、初め荒尾出雲守空善が三千貫文の土地とともに支配、出雲守の息子作右衛門美作守善次は織田信長麾下にあって今川義元と戦い戦功を立て、その子小太郎美作守善久は三方みかたはらの戦で討死した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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