昼田村(読み)ひるだむら

日本歴史地名大系 「昼田村」の解説

昼田村
ひるだむら

[現在地名]羽黒町昼田

富沢とみざわ村の南西に位置し、南・西・北の三方黒瀬くろせ川が蛇行しながら北流する。庄内藩の行政区分では周辺の村村が中川なかがわ通に属するのに対して、当村だけが櫛引くしびき通に属した。かつて当村は西方松尾まつお村の貴船きぶね神社付近に位置したが、水害のために移転したとされ(筆濃余理)、このことに関連するものと思われる。また地名は干田(ひるた)から転じたといわれる。慶長一九年(一六一四)一栗兵部一件で高名をあげた早田理右衛門は、恩賞として当村と後田うしろだ村・中島なかじま村の預支配を命ぜられた(大泉紀年)正保郷帳に村名がみえ、田高一九〇石余・畑高五六石余。

昼田村
ひるだむら

[現在地名]玉城町昼田

宮川左岸の自然堤防上に集落はある。蒜田や蛭田とも記され、旧名平田といわれた。「五鈴遺響」は「此地平田ニシテ泥中水蛭多シ故名クナルヘシ」と記す。「神鳳鈔」に「蒜田御牧」「盡田御薗」がみえ、後者は「晝田御薗」のことであろう。昼田御園は明治に至るまで御園として続いており、明治三年(一八七〇)の「皇大神宮神田神戸御厨御薗貢物表」(神宮文庫蔵)に「荒麦二斗宮中鶏飼補料、芋一三〇元旦直食饗料、菜服三本元日直食饗料」と記されている。建久三年(一一九二)一一月二二日付の大中臣某処分状案(光明寺古文書)に「蒜田村季景居住」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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