日足村(読み)ひあしむら

日本歴史地名大系 「日足村」の解説

日足村
ひあしむら

[現在地名]宇佐市日足

橋津はしづ村の南、御許おもと山を水源とする日足川の最上流域の谷間にあり、村域は南北に長く展開する。北西部の扇状平地を除いては山地で、東は出光いでみつ村・金丸かなまる村、西は宇佐村矢部やべ村、南は正覚寺しようがくじ村。中世日足庄の遺称地。「宇佐託宣集」によると、欽明天皇(孝徳天皇とも)の時代、豊前守は不思議な光の出所を求めて諸司に国内各地を尋ねさせた。このとき「日足浦」に住む八〇〇歳の翁大神波知が馬城まき(御許山)に座す八幡神のことを告げたという。また八幡神は金色の鷲となって馬城峰に現れ、光を日足のごとく放ったので、当地は「日足里」と称するようになったともいう。同託宣集によると、神亀二年(七二五)弥勒寺の前身弥勒禅院が「日足林」に、勝恩しようおん寺が大神比義によって「南無江之林」に建立されたといい、字堂所どうしよ南無江なむえがそれぞれの寺跡とみられている。

日足村
ひたりむら

[現在地名]熊野川町日足

椋井むくのい村北方、小口こぐち(現赤木川)が熊野川に合流する左岸に位置。村の西南部に小名相須神丸あいすかんまる、北部に志古しこがある。年欠一二月五日付の畠山義就書状(「続風土記」所収西氏蔵文書)に「日足殿」の名がみえる。慶長検地高目録によると村高四七七石余、小物成五・七六八石。三之村組に属し、和歌山藩新宮領。慶長(一五九六―一六一五)頃の家数三六(新宮藩御勘定方旧記)近世後期の家数八一(新宮領分見聞記)本宮と新宮を結ぶ熊野川筋の中ほどにあり、船次があった(紀南郷導記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android