日本橋四丁目(読み)につぽんばしよんちようめ

日本歴史地名大系 「日本橋四丁目」の解説

日本橋四丁目
につぽんばしよんちようめ

[現在地名]南区日本橋一丁目

日本橋三丁目の南に続く両側町で、「天保町鑑」に「中程より高津新地へ行道有」りとある。寛政五年(一七九三)まではなが町四丁目と称した(浪速区の→長町。大坂三郷北組に属し、屋敷数六二・役数六五半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は寺田屋利兵衛。元禄一六年(一七〇三)当時町内は茶屋御免地であったが(「伏見坂町一件」成舞家文書)、享保一三年(一七二八)に長町五丁目および同六丁目(現浪速区)とともに本堺もとさかい町・本京橋もときようばし町・本相生もとあいおい町に譲渡した(「茶屋町ニ相成候願一件」大阪市立大学蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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