新町遊廓(読み)しんまちゆうかく

日本歴史地名大系 「新町遊廓」の解説

新町遊廓
しんまちゆうかく

江戸時代、幕府から公許された大坂唯一の遊廓。ニシ、西廓などとよばれた。東を西横堀にしよこぼり川、北を立売堀いたちぼり川、南を長堀ながほり川に画された地域のうち立売堀川沿いの助右衛門すけえもん町、西横堀川沿いの孫左衛門まござえもん町・藤右衛門とうえもん町、長堀川沿いの長堀平右衛門ながほりへいえもん(現南区・西区)・同宇和島うわじま町・同富田屋とんだや町に囲まれた区域。廓を構成する町のうち新京橋しんきようばし町・新堀しんぼり町・瓢箪ひようたん町・佐渡島さどしま町・吉原よしわら町が中心で、曲輪と称された。ほかに九軒くけん町・佐渡屋さどや町があった。

豊臣政権期、この地は船着場であったため遊女屋もあったと思われるが、まだほとんどが未開地で、遊所の多くは市中に散在していた。江戸時代になり、幕府は下難波しもなんば村領であった当地に新しく町をつくり、遊所を一所に集めて遊廓を設定したため、「新町」がこの地域の総称となり、かつ遊廓の名称となった。元和五年(一六一九)伏見ふしみ町・呉服ごふく(現東区)の辺りにあった又一またいち町が道頓堀どうとんぼり川沿いに移されて瓢箪(現南区)を名乗り、寛永七年(一六三〇)または八年当地に移されたのをはじめとして、明暦三年(一六五七)木津きづ川河口近くの三軒屋さんげんや(現大正区)にあった傾城屋が当地に移され、新町遊廓が完成した(色道大鏡、「古来より新建家目論見一件」成舞家文書ほか)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報