新田城跡(読み)にいだじようあと

日本歴史地名大系 「新田城跡」の解説

新田城跡
にいだじようあと

[現在地名]古川市新田 南構

江合えあい川と多田ただ川に挟まれた氾濫原上にあり、大崎氏の居城名生みよう城から南東にあたり、南構の役割をもっていた。現在も城跡の南と北には水堀跡が残り、土塁跡も認められる。かつては外堀内堀や土塁などで厳重に囲まれた平城であったと推定される。大崎氏の祖斯波家兼は、貞和二年(一三四六)頃奥州管領として下向し、新田などにいわゆる大崎五御所を配して、大崎地方を支配したといい、新田城もこの頃築かれたと思われる。天文五年(一五三六)大崎義直家臣である新田安芸頼遠を新田城に攻め、敗走させている(伊達正統世次考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報