日本歴史地名大系 「新瓦町西組・新瓦町東組」の解説 新瓦町西組・新瓦町東組しんかわらちようにしぐみ・しんかわらちようひがしぐみ 京都市:東山区大仏廻り新瓦町西組・新瓦町東組東山区塩小路通大和大路東入・同東入二丁目瓦屋町(かわらやまち)通の南側に位置し、方広(ほうこう)寺太閤塀に面する。東は小路を隔てて本瓦(ほんかわら)町、西は大仏仁王門(だいぶつにおうもん)通末をもって蒔田(まきた)町、北は三十三間堂廻(さんじゆうさんげんどうまわ)り町、南は今熊野池田(いまぐまのいけだ)町・上池田(かみいけだ)町。「坊目誌」に「天正慶長の頃、製瓦の工廠あり。元和以来町地と為り、瓦町と称す。後に分離して新瓦町と称す」とある。寛永一四年(一六三七)洛中洛外惣町数人家数改日記(「半日閑話」所引)には「同所(大仏)南新瓦町」とある。延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)では、新瓦町下町・新瓦町の二町が出るが、下町は南の意であり、新瓦町が北といえよう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報