播磨田村(読み)はりまだむら

日本歴史地名大系 「播磨田村」の解説

播磨田村
はりまだむら

[現在地名]守山市播磨田町

守山村の北に位置。枝郷に今市いまいち村・荒見あらみ村・伏野ふせの(布施野とも)があったが、今市・荒見の両村はのちに一村として高付された。弥生時代中期から古墳時代後期の酒寺さかでら遺跡がある。建武元年(一三三四)一二月日の吉身庄検注目録(南部文書)に播摩田郷とみえる。観応二年(一三五一)六月二四日、播磨田郷の替地として遠江国浅羽あさば庄地頭職などが足利尊氏から佐々木貞氏へ与えられた(「足利尊氏袖判下文写」佐々木文書)。文和四年(一三五五)一月二二日比叡山山上に陣取った足利尊氏に対し、延暦寺衆徒は近江国国務とともに播磨田庄など三ヵ庄の寄進を要求したという(源威集)。長禄三年(一四五九)蓮如から十字名号(延命寺蔵)を授与された野洲南やすみなみ(笠原村)の善崇は「野洲南郡(播)磨田善性門徒」であったといい、寛正三年(一四六二)蓮如は「野洲南郡幡磨田惣門徒」に親鸞絵像を下付している(昭和四五年焼失)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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