拝志庄(読み)はやしのしよう

日本歴史地名大系 「拝志庄」の解説

拝志庄
はやしのしよう

赤城山西麓、利根川左岸に位置した庄園。林とも書いた。「延喜式」左右馬寮に御牧として拝志牧がみえ、当庄は拝志牧から発展したものと推定される。立庄は一二世紀にさかのぼると考えられ、年欠宣陽門院所領目録(島田文書)には「雖有御領号不済年貢所々」の一としてあげられる。長講堂領庄園が成立した時、拝志庄もそのなかに入っていたのであろう。庄域は年未詳上杉氏上州所領目録(彦部文書)に「林庄之内 名雲郷半分」とあり、南雲なぐも郷を含む。南雲郷は現赤城あかぎ村の沼尾ぬまお川流域である(赤城村の→南雲郷。また現赤城村津久田つくだ三間入みまいりの薬師堂に天文一一年(一五四二)在銘の石祠があって「上州林庄佃村」とあり、さらに現北橘きたたちばな八崎双玄はつさきそうげん寺六地蔵供養塔には「上野国勢多郡拝志庄八崎村双玄寺 天文十三年甲辰四月廿三日」の銘がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報