手賀城跡(読み)てがじようあと

日本歴史地名大系 「手賀城跡」の解説

手賀城跡
てがじようあと

[現在地名]玉造町手賀

西廓にしくるわ高台に位置し、北方に鳥名木となぎ館跡がある。城主手賀氏は常陸大掾氏の一族玉造幹政の二子正家が当地に居住し手賀氏と称したことに始まり、子孫の手賀土用納礼丸は文和二年(一三五三)倉河くらかわ(現麻生町蔵川)に城を築いて下河辺行景と争い、行景はこれを室町幕府に訴えている(「武田高信請文」鹿島神宮文書)。手賀氏は康暦元年(一三七九)に鹿島大使役を勤め(「鹿島大使役記」安得虎子)、応永三二年(一四二五)には鹿島神宮造営奉行を勤めた(「鳥名木国義申状」鳥名木文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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