手ノ子村(読み)てのこむら

日本歴史地名大系 「手ノ子村」の解説

手ノ子村
てのこむら

[現在地名]飯豊町手の子

小白川こじらかわ村の南西しら川左岸に位置し、手野子・手之子などとも記した。越後街道宿駅で、東の松原まつばら宿から三〇町、宇津うつ峠を越えて西の沼沢ねまざわ宿(現小国町)まで二里二〇町。玉川ぎよくせん(現東田川郡羽黒町)再興で知られる南英謙宗は宝徳元年(一四四九)東奥へ赴く途次、「手之子渡頭」で舟に乗っている(南英禅師語録)

天文七年(一五三八)の段銭古帳では「三十九〆五百六十五文 てのこ」とあり、うち七貫九三五文は下館分として差引かれている。同二二年の晴宗公采地下賜録によると遠藤上野守は手ノ子郷内の「こしらかハ」を安堵され、加恩として「西たかむねさいけ」「いちのゝ在家」「かの水さいけ、遠藤監物分」「はこの口さいけ」などを与えられ、棟役・段銭・諸公事を免除された。また「越後のつう路、山中百廿里のあひた惣成敗、前々のことくたるへし」と越後街道山中の成敗権を安堵されている。ほかに塚原弥九郎は「きたくほ在家」「西かの水さいけ」「ぬまさハさいけ」などを安堵され、良覚に「けゝの在家」、大塚信濃守に屋敷三間が、それぞれ与えられた。この下賜録にみえる在家名などから、手ノ子郷は現在の手の子・小白川・高峰たかみねなどを含み、西は小国おぐに町の綱木箱口つなぎはこのくち市野々いちのの叶水かのみずあたりまでを境域としていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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