戸来村(読み)へらいむら

日本歴史地名大系 「戸来村」の解説

戸来村
へらいむら

[現在地名]新郷村戸来

五戸ごのへ(現五戸町)西南、五戸川の上流に位置し、五戸川流域とその支流三川目みかわめ川流域に支村が点在する。西に戸来岳がそびえ、東は又重またしげ(現倉石村)、南は西越さいごし村および蛇沼じやぬま村・貝森かいもり(現三戸町)、北はきた滝沢たきさわ(現十和田市)と接する。

永仁五年(一二九七)の五戸郷検注注進状(新渡戸・岩大文書)に「一へらいのかう 五ちやう八たん二かうのうち くてん三ちやう四たん四かう」とある。戦国時代より三戸南部氏の支配下に入り、天正(一五七三―九二)の頃には戸来館に戸来氏が居館していた。参考諸家系図(岩手県盛岡市中央公民館蔵)によれば戸来氏は木村家一二代秀勝の代に三系に分れたうちの本系にあたり、長男政秀が戸来郷を領して戸来氏と称したという。秀勝は文正元年(一四六六)の没とされるので、その後移住したものと考えられるが、委細不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報