慧日寺(読み)えにちじ

日本歴史地名大系 「慧日寺」の解説

慧日寺
えにちじ

[現在地名]山南町太田

篠山川左岸にある臨済宗妙心寺派の寺。万松山と号し、本尊釈迦如来。妙心寺派の中本山として久下くげ谷を中心に郡内に一三ヵ寺の末寺をもったという(丹波志)。寺伝では永和元年(一三七五)管領細川頼之の開創といわれているが、慧日寺仏殿保存修理報告書では延文三年(一三五八)頃としている。天正三年(一五七五)兵火により焼失するが(慧日禅寺略記録)、寛永七年(一六三〇)京都妙心寺の住持であった大愚宗築が当山に入ったのを契機に五山派から妙心寺派に転じ、続く別心座元の代の慶安二年(一六四九)に将軍徳川家光より朱印状を下付され、伽藍の復興が始まったという(慧日寺記録集草稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報