感田村(読み)がんだむら

日本歴史地名大系 「感田村」の解説

感田村
がんだむら

[現在地名]直方市感田

遠賀おんが中流域、同川支流尺岳しやくだけ川の中流・下流域に位置する。西は知古ちこ村・下新入しもしんにゆう村、北は木屋瀬こやのせ(現北九州市八幡西区)南東頓野とんの村。中世の感田庄の遺称地。小早川時代の指出前之帳では田八一町三反余(分米七九五石余)・畠七六町三反余(分大豆四四三石余)。文禄三郡内知行方目録には「がんだ村」高一千二四二石余がみえ小早川隆景に与えられている。福岡藩成立後は同藩領となるが、元和九年(一六二三)から延宝五年(一六七七)までは東蓮寺藩(直方藩)領であった。ただし貞享元年(一六八四)書上の黒田長寛拝領東蓮寺藩郷村高辻目録(阿部文書)にはみえないことから、寛文三年(一六六三)の長寛襲封時には東蓮寺藩領から外されていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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